2012/01/30

「NPO」から「国家公務員」への転職~9ヶ月経過

ふと気づくと、NPOから行政に転職して9ヶ月が経過しました。

「子どもの学び支援ポータルサイト」「熟議」など、これまで同様に担当しています。

「震災対応」においても、震災から1年が経とうかという時期でもあり、当初よりも落ち着きがでてきている面もありますが、新年度を控え、次のフェーズに移りつつあります。
何より、子どもの学ぶ環境、育つ環境そのものが、まだまだ回復されてはいません。


被災地で活動されている方々からお話を伺っていますが、自治体によって、NPOに対する見方も異なります。
NPOによる取り組みに理解ある自治体もあれば、理解していただけない自治体もあるようです。
だからといって、手を引くのではなく、地道に、地域の中で人間関係を築きながら活動を行うこと。
単なる”仕事”としての割りきりではなく、”出会い”や”ふれあい”を大切にして活動する仲間。

”お役所仕事”として割り切るのではない、まさに、”新しい公共”としての取り組みは、今後さらに重要になってくると思います。
また、東京にいて仕事をするのと、現地に入って仕事をするのとでは現場感覚が異なるのでしょう。


東京からの視点だけに陥らないように現場感を大切にしたいところです。
そしてまた、常に現場に行けるわけでもなく、そこがジレンマです。
さらにいえば、「現場」もさまざまで、被災地の役所も現場ですし、さらにその先の学校も現場です。

「現場」をいかにして感じ、感じたことをいかにして政策につなげるのか。
この現場感が、今、行政には求められていると、行政の中にいながらにして痛感しています。

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2011/08/05

「NPO」から「国家公務員」への転職~3ヶ月経過

国家公務員に(期限付きで)転職して3ヶ月が経過しました。

7月末には省内でも人事異動があり、私が入省した5月から、顔ぶれも変わりました。

省内の異動のみならず、他府省である内閣府や、出向元の厚労省など、多岐にわたっています。

そもそも”少数精鋭”のNPOにおいては、「人事異動」とか「転勤」といったものはほとんど皆無。
なにより”昇進/昇格”というものもほとんどない状態(そして、”昇給も・・・笑”)。
そうした中で、人事異動なり昇進なりを体験するのは、面白いことです。

これまでの業務の担当者が、その日を境に即座に切り替わる。
もちろん、異動前後には引継ぎもありますし、そのことで生じる多少の業務の停滞はありますが、それでも淡々と業務が引き継がれていく姿からは、学ぶものがあります。

とはいえ、異動にあたっては「希望」を人事課に伝えることはできても、そのとおりになるとは限らないとのこと。
そしてまた、たとえ希望通りの部署に異動できたとしても、移動先の部署でも業務内容は多岐にわたっているので、そこでも願いが叶うかどうかは分からない・・・。

そうしたこともあり、これまで外部から行政の方とお付き合いをさせていただく中で、担当者が毎年のように交代することを経験してきて、そのつど、業務への関わり方や、付き合い方なども異なり、「行政は職員がよく交代する」「行政は”職員次第”で関わり方が異なる」というように、なかば”批判”的にみてきました。

しかし、実際に人事異動に直面すると、確かに異なる業務を体験することで、それぞれが成長し、かつ、行政組織に厚みが出ているということを感じます。
そしてまた、異動することで新たな人脈を築き、回りまわってネットワークが形成されていく。

今回の震災対応においても、以前、被災地の自治体の教育委員会に出向していたり、被災地出身の方の元々も現地とのネットワークを駆使してなど、”人脈”をフルに活用しているのを目の当たりにしています。

そういえば大学生時代に、「”スペシャリスト”を目指すのか、”ゼネラリスト”を目指すのか」といったことを、ゼミ(政治学)で議論をした覚えがあります。
行政職員はやはり、ゼネラリストなんだなぁと思います。

と同時に、それぞれの特性・特徴・キャラクターを感じずにはいられません。
もちろんそこには、”継続性”という大きな課題もありますし、”組織”という壁もありますが、新しい出会いが、新たな息吹を吹き込み、展開を拡げていくのも事実。

面白いですね。

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2011/07/10

自分の思い・考えを話すこと、他者の思い・考えを聴くこと

土曜日、日曜日と、「熟議」の2日間でした。

土曜日は、まだまだ数少ない「子ども熟議」が、三鷹市教育委員会で行われました。
市内の15校の小学校から各2名の30名、7校の中学校から各3名の21名、合計51名。
「子ども熟議」なので、私は傍聴でしたが、保護者や引率の先生など、傍聴者だけでも50名近くはいたと思います。

8グループ(小学生5グループ、中学生3グループ)に分かれて、
 ・地域の人からこんなことを学びたい(小1グループ・中1グループ)
 ・こんな15歳になりたい(小2グループ)
 ・こんな先生に教わりたい(小1グループ・中1グループ)
 ・こんな小中の交流や学習をしたい(小1グループ・中1グループ)
といったあらかじめ決められたテーマに基づいての議論。

各グループのファシリテーターは、副校長や教育主事などが務められていました。

貝ノ瀬教育長が、最後の講評で話されていましたが、ファシリテーターのおとなが「話しすぎ」だったのは確かですね。
やはり、どうしても「議論をまとめたい」という思いが強くなりがちで、ファシリテーターが、児童・生徒が話している中身の真意を探って、そのコトバの奥にあるものを引き出そうとする、というよりも、発せられたコトバを整理しようとする側面が強く感じられました。

とはいえ、普段の生活の中で、そうしたところまで取り組めていない面もあると思いますし、何よりも今回は、三鷹市では初めての試みということもあり、おとなにとって、非常に学ぶものが多かったのではないかと思います。

参加されていた小中学生は、むしろ、普段の学校生活よりも自由に自分の意見を言えていたようで、少人数で話しやすい雰囲気というのは、やはり大事なことだと思います。


また、本日(10日)は、横浜で開催された「第2回リアル熟議よこはま」に参加しました。こちらは、鈴木寛副大臣、寺脇研さんなど、豪華な布陣で、100人近くが参加。自己紹介を兼ねながら昼食をグループ別に食べるという趣きでスタートしました。
学校の先生の参加が多かったように感じられました。

「教育」は、ある意味、誰しもが「評論家」となりうることができるテーマ。特に結論が出るわけでもなく、即座に政策に結びついたり、反映されたりするものでもありませんが、日ごろから感じていることを、立場・役職を超えて、一人の市民として語り合うことができる場は、今だからこそ、必要だと感じました。

その上で、今後は、「話す」「語る」「聴く」だけにとどまるのではなく、いかにして政策につなげていくのかが、重要になってくると思います。やはり、話しっぱなしでは、物足りない。

だからこそ、熟議は、政策決定者や、政策決定の場に携わっている方が参加していることが、大事なのではないかと思います。


いずれにせよ、熟議は、あくまでも「対話」「話し合うこと」の一つの方法であり、熟議だけですべてが解決するわけではありません。熟議をしていれば、世の中がよくなるわけでもありません。

むしろ、「熟議」「対話」を通して、自分の思い・考えを伝え、相手の思い・考えを聴く。そうした「知のキャッチボール」が、まさに民主主義の根幹であり、一人ひとりの意見の集約を積み重ねることが、社会を発展させることにつながります。

熟議でイキイキしているおとなを見ると、もっともっと、子どもの声を聴いてもらいたいと思わずにはいられません。子どもも市民。子どもも主権者、なのです。子どもだって思いや考えを持っています。話したい、誰かに聴いてもらいたいのです。

「熟議」や「対話」は、おとなだけが行うものでもなく、また、「子どもだけ」で行うものでもありません。子どももおとなも、年齢も、性別も、立場も、役職も関係なく、それぞれが抱いている思い・考えを話すこと。話していいんだという安心感を抱くことができることが、市民性を高め、民主主義を醸成していくことにつながるのではないでしょうか。


「熟議」という対話の場に満足するだけではなく、そこをキッカケに社会を創る動きにつなげていかなければならない。そんなことを強く感じた2日間でした。

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2011/07/04

「NPO」から「国家公務員」への転職〜2 ヶ月経過

転職から2ヶ月が経過し、3ヶ月目に入りました。

職場は”省エネ”のため蒸し暑い日々です。
「スーパークールビズ」と言われていますが、時差通勤があるわけでも、夏休みが2週間になるわけでも、残業が減るわけでもなく・・・。


2ヶ月たっての進展は・・・さほど感じてはおらず、1ヶ月前同様に、与えられた仕事に没頭すること多々。
その中で感じていることは、”お金=資金繰り”の心配をしないで良い職場というのは、それはそれで精神的に楽かもしれない、ということ。

思い返せば、「助成申請」情報をこまめに確認し、仕事の合間に申請書を作成。企業や行政向けの資料を作成するために、少しでも相手が気を引くようなキャッチコピーなどを工夫しようと他団体や企業の情報などをチェックして、見よう見まねで作ったりしていました。そして、寄付金をいただけたり、助成金が決定したときはホッとしたものです。
”お金=資金繰り”とは縁遠い行政という場にいると、「助成申請」していた時が懐かしく感じられます(あ、それでも、実施したい事業・施策がある場合は「予算獲得」が不可欠ですので、そのための書類作成は大変そうです)。
世間の動きに常にアンテナを張り巡らし、少人数で何でもこなさなければならないNPOと、自分の担当業務の時間をしっかりとれる行政とでは、やはり世界が異なるということを感じています。

ただ、行政においては、自分の仕事がどのように評価されているのかの”指標”が見えにくいため(お金がすべてではありませんが)、この環境で仕事をし続けるには、まさに、与えられた業務に没頭するしかないのかもしれません・・・。そういう意味では、NPOや企業などとは違う意味で、厳しいところなのだとも思います。

***

そうした中、先日、「ビッグパレットふくしま避難所」(最大時避難者数2,500人)を運営している「県庁避難所運営支援チーム」の天野和彦さん(福島県 文化スポーツ局 生涯学習課/社会教育主事)から、『ビッグパレットふくしま避難所の取り組み― おだがいさまセンターが誕生した理由(わけ)―』と題した話を伺う機会が職場でありました(40名近い職員が仕事の合間に参加されていました)。

天野さんは、社会教育主事の経験を生かし、避難者の生活改善、自立に向けた取組などに熱心に取り組まれている方。プランナー、プロデューサー、ディレクター、ネットワーカー、コーディネーターなどなど、「社会教育主事」としての役割や意義などを考えさせられた時間で、「社会教育主事」の存在について、これほど大きく認識したことは初めてでした。

何よりも、天野さんの話のなかで一番印象に残ったのが、【ビッグパレット運営の特命担当として、4月11日にビッグパレットに行って最初に感じたことが【「人権の問題」「自治をつくる」ということだった】という部分。「人権」「自治」について、行政の職員が気負うことなく普通に語られている姿に驚きました。

NPO出身で、「子どもの権利」「民主主義教育」などにかれこれ20年弱、取り組んでいる私としては、「人権」や「自治」について常に意識しているわけですが、5月に文部科学省に転職して以来、震災対応などにおいて「人権」「自治」という視点で語られることがほとんどなく、モヤモヤとした違和感を抱いていたところでした。

その違和感が何かを、天野さんの話で気づかされ、ある意味、ほっとしました。
何よりも、学校現場出身で(天野さんは教員でもあるそうです)、同じ「生涯学習」を担当されている「社会教育主事」の方が、「人権」「自治」を当たり前のこととして意識され、普通に話されている姿に安心を感じました。

やはり、「現場」に近い人ほど、「人権」や「自治」という意識が強いのかと思いつつ、だからといって、中央省庁にいる人間にそうした視点が低いわけではないと思っています。

ただ、現場を離れたり、現場から遠くなるにしたがって、現場で感じていることに鈍感になってしまい難しいのだなぁと思います。

一週間でも二週間でもいいから、省内の職員すべてが、”ボランティア”ではなく、被災地の学校現場や避難所、公民館などの現場で仕事をして、仕事を通じて被災された方と接することを、今後5年くらいのスパンの中で取り組んでもらいたいなぁと思わずにはいられません。

机上でアレコレ考えるのも大事なことではありますが、実際の現場を感じることで、より良い政策につながるのではないでしょうか。


※以下、ビッグパレット関連のニュースより※
 「自らの手で避難所維持、管理 郡山ビッグパレットに自治組織誕生」
  http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/05/post_1284.html

 「「おだがいさまセンター」避難所生活に心の潤い…福島」
  http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42492

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2011/06/17

気が利く娘

日曜日、家族での買い物から帰宅し、クルマを降り鍵をかけようとしたら、リモコンキーの調子が悪く作動しなかったため、リモコンキーの電池切れかと思い手動で鍵を締めました。

そして昨日の朝、荷物を取りにクルマに行ったら、なんかおかしいのでエンジンをかけようとしたら、エンジンがかからず。

むむむ。

エンストしていたようでした。

16時過ぎに帰宅し、亡き娘の墓参を家族で済ませた後に、ロードサービスにエンストのことを連絡し、来てもらいました。

すると、“1時間程度エンジンをかけ、さらに2〜3時間運転すべき”とのこと。

うーん、普段の平日なら4時間近くもクルマに張り付く時間なんて無いのですが、昨日は墓参のためにいつもよりも早めの帰宅をしており、時間がありました。

クルマでの一人の時間を過ごすことになり、普段では過ごすことが無い時間に。

あても無くクルマを走らせることで、頭の中も楽に。

亡き娘が、忙しい日々を過ごしている私にそんな時間を作ってくれたのかと思うと、気が利く娘に“感謝”しかありません。

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2011/06/08

子どもの成長、世界の拡がり

子どもの成長、世界の拡がり
毎年恒例となった保育園の“保育参加”。

今年度は、息子のみですが、急遽昨日、有給休暇を取って、妻に代わって参加してきました。


今回は、私以外に父親一人、母親四人の計六人の参加でした(保育参加は3回に分けて実施)。


担任二人のうち一人が男性(他市から採用)。

確かに、女の先生だけとは違い、男性パワーと言いますか、元気さが異なりますね。


“負けん気”が強い息子は、“立ち向かう”のではなく“引く”タイプで(先生からも言われました)、みんなで作った新聞ロケットの飛ばしっこも、はなから“どうせ負けるからやだ〜”とグズグズ。

ま、それでもじきに気を取り直したので、良し、ですかね。

他の園児とも遊び、それぞれの成長を感じました。


やはり、家で見せる姿と、外の世界での姿は異なり、多様な世界で生き、様々な関係性の中で成長していくことは大切だと実感。


これまでは、給食を一緒に食べた後に仕事に向かっていたのですが、娘が一年生になったこともあり、一日休むことにして、給食後には息子と帰宅し、娘が帰宅するのを待ちました(普段は妻が、19時ギリギリに学童クラブまで迎えに行くため、一人での帰宅経験が無く、明るい時間帯での一人での帰宅を初めてさせました)。


帰宅後、子どもたちと公園まで行ったのですが、娘が今までできなかったブランコの立ち乗りをしていたり、公園にいたクラスの男の子と遊び始めたりと、これまた娘の世界の拡がりを実感しました。


さて、次の休みは・・・7月になるまで無さそうです。
その時にはどんな成長を見せるのか、楽しみです。

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2011/04/08

いろいろと

想うことがあり、かといって、口に出せるわけでもなく。

世の中の動きと、周りの動きと、自分の動きが、
どうもかみ合わないこの頃。

「自分は何者なのか」と考えてしまいます。


とはいえ、「成るように成る」のが人生であり、
「成るようにしか成らない」のも、また、人生。

今は、そうした時期なのだ、と、割り切ろうと、
思うしかありません・・・。

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2011/03/11

余震が続いていますが、今のところ私は無事です。ただ、電車がストップしているので帰宅できそうにありません。

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2011/02/28

子どもが見たアート十選(日経新聞)

日本経済新聞の最終面(文化面)。
絵の鑑賞などはまったくといっていいほどしないのですが、ここに連載されている「美術選」は、読んでいて、結構、感じることが多い。

先週からは「子どもが見たアート十選」と題して、東京国立近代美術館の方が連載をされているのですが、「子どもの絵の見方」をテーマに、絵を見た子どもが自由に感じたことが、毎回、絵を変えて書かれています。

子どもたちの自由な感想からは、単に、「芸術鑑賞」というものにとどまらず、素直に感じる気持ちや、それを言葉として表現すること、イメージを膨らませること、絵の世界に入り浸ることなど、まさに、感性を刺激していることが伝わってきます。

とかくせわしない世の中で、時間に追われる日々ですが、授業の中で、あるいは、社会科見学などで美術館見学をしたときに、30分でも、60分でも、その世界に入り込むことは大切だなぁと感じます。

そして、そうした連載が、朝日新聞や読売新聞といった一般紙ではなく、日経新聞に掲載されているということも、何だか意味を感じます。こうした面を読んでいる日経新聞読者は、何を感じているのか、気になります。

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2010/11/17

「保育の質」と「教育の質」~「幼保一体化」の議論から

「幼保一体化」が議論になっています。

しかし、どうしても「おとな目線」の議論のようで、そこに通う「子ども」の視点が入っていないように感じます。

「ワークライフバランス」というコトバも、おとな目線で、子育てをすることによるメリット、ということも、抜け落ちているようですし・・・
(そもそも、”ライフ”の中に”ワーク”が入っているはずなのですが、なぜ、”ワーク”と”ライフ”を分けようとするのか、根本的なところから、私には理解ができませんが・・・)

「保育の質」にしても、「教育の質」にしても、どちらが優れている・優れていないではなく、いずれにしてもどちらも大切なことではないでしょうか?

限られた予算の中で、さらに少子化が進行している中、互いの主義主張を掲げ、そこだけを主張するのではなく、子どもをどのように育てていこうとするのか、きちんと議論することが大切ではないでしょうか。

いくらその内容が良いとしても、自分の立場だけを主張し、そこに固執する方の話を聞くのはうんざりです。自分の立場を超えて、現状をよりよくする提案をしてもらわなければ、議論する意味がありません。

予算は限られているのです。

そして、未来の日本を、社会を担っていくのは、今、そしてこれからを生きていく子どもなのです。

そうした現状に、おとな自身がもっと自覚をすべきではないでしょうか。

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