選ぶ権利、引き受ける責任
政権交代となった総選挙から1ヶ月が経過しました。
この1ヶ月間の鳩山政権、色々と不安を感じる面もありますが、総選挙で提示したマニフェストの実現に向けて、閣僚になられた方を始めとして、愚直に取り組まれているなぁ、というのが感想です。
日本人はこれまで「お任せ民主主義」で、投票はするけど、あとの結果は政治家任せ。
ようは、選ぶだけ選んでおいて、選んだ責任を負おうとせず、批評家然していました。
しかし、今回の選挙の結果などをみていると、「お任せ」するだけではなく、結果責任を「引き受ける」という”覚悟”に気づき、踏み出したのではないか、と感じています。
そもそも私たちは、お店で商品を選ぶときは、値段、生産日、生産者、原料・材料などを考慮しています。
もちろん、品質に問題があれば、生産者や販売店に苦情を言ったりしますが、第一義的には、買った本人の責任が問われます。
政治もそれと同じで、選ぶだけではなく、選んだことに対する責任も負わなければ、権利行使をしたことになりません。
だからこそ、だれがいいのか、どの政党がいいのか、私たちは、たとえ情報が少なくても吟味し、”よりまし”を選び、選んだ以上は、その結果を引き受けなければなりません。
結果に満足しなければ、次の選ぶ機会で違う選択をするか、さらには自分が選ばれる側に廻るか、ということをしていけばいいのです。
(もちろん、途中途中で確認することも大切です)
民主主義というのは、選ぶ権利が保障されているとともに、選んだ責任を引き受ける、ということを併せ持つものなのです。
選ぶ場面は、政治や買い物だけではなく、PTAの役員であったり、NPOの理事であったり、さらには結婚相手であったりと、多岐にわたります。
誰かが推薦しているからというのも選ぶ理由の一つかもしれませんが、選ぶのは自分であり、選んだ責任は自分が引き受けるしかありません。
であれば、「情報が少ない」と文句を言うだけではなく、自ら情報を得る努力をしなければならないのです。
と同時に、選ばれる側は、きちんと情報を開示することも必要です。
そして、こうした経験は、おとなになってから身につけるものではなく、子ども時代から経験して身につけていくものです。
遠足のおやつ「300円以内」で何を選ぶか、
学級委員に誰を選ぶか、
どの部活に入るか、
部長に相応しいのは誰か、
生徒会長に立候補するか、
どの学校を受験するか・・・・。
子どもであっても、選ぶ場面は多々あります。
おとなが先回りして答えを用意するのではなく、子どもながらに考え、迷い、選ぶからこそ、その結果がたとえ満足いかなかったり、不本意な結果となっても、結果に納得し、結果を引き受けることができるわけです。
模擬選挙はまさに、「自分だったらどんな社会を選ぶか」を考える機会。
つまり、民主主義を創り、市民性を醸成していくプログラム。
そんなことを感じながら、さて、鳩山政権の行く末はいかに。
私も、結果を引き受けます。
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