子どもを観る目
先日の運動会の件でアンケートに「なぜ乳児と幼児に分けて実施したのか説明して欲しい」と実名で書いたところ、園長から「説明したい」とのことで、昨日、仕事を早退して、保育園に伺いました。
大きな理由としては「園庭が狭く保護者が押し寄せると大変。子ども一人一人にスポットをあてるために時間も場所も余裕をもたせたい」とのことでした。
もっともですが、そうした説明が事前に十分されていたのかが疑問です。
と同時に、「我が子だけの成長」を見れればいいのか、という根本的な想いがあり、その点を伝えました。
確かに、″人数制限″をしたことで場所に余裕はできました。
しかし、0歳から5歳までが一緒に生活している場を保護者が感じることができるのが、唯一、運動会。
「3年後にはあんなに早く走れるようになるんだ」
「5年後には跳び箱も跳べるようになるんだ」
「2年前はきちんと整列もできていなかったな」
「4年前はお兄さんに手を引かれて嬉しそうにしていたな」
″我が子″だけではなく、他の年齢の子を観ることで、子どもの成長を感じ、愛情も深まるのだと思います。
ただでさえ子どもと触れ合う時間が少ないなか、そうした貴重な機会を一方的に奪われてしまったことは、非常に寂しく、残念だったと伝えました。
子ども一人一人にスポットライトをあてるのはいいものの、我が子だけをみればいいわけではありません。
多様な関わりの中で子どもは必死に成長しているということを、お互いに支えあって生きているということを、保育園として、保護者にきちんと伝えて欲しい。
そのように思っています。
ま、園庭が狭く、余裕がないのも事実で、運動会のあり方は検討が必要だとは思いますので、来年度も同じ形態かもしれません。
ただ、せっかく0歳から5歳までが生活している場なのだから、その利点を活かせるように工夫(運動会ではなく別の行事でも構いません)して欲しいと思います。
利点を自ら放棄してしまったら意味がないので・・・。
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